フィリピンの英雄/スペインからの侵略者フィリピンには、『英雄』と呼ばれる人がいた。ホセ・リサールである。 1861年6月19日ラグナ州カランバ町に生まれたホセ・リサールはアテネオ・デ・マニラ文学部、サント・トーマス大学医学部に学んだ後スペインに渡り医学、哲学、文学を学ぶためマドリード中央大学の門をたたいた。 リサールは愛国的な作家であると同時に彫刻家、眼科医、言語学者、発明家、画家でもあった。 リサールの愛国的小説「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」や「エル・フィリブステリスモ(反逆=邦訳:反逆・暴力・革命)」は平和的手段によって圧制者と戦う多くのフィリピン人を勇気づけた。 リサールは1887年に一度フィリピンに戻ったが、彼の小説にスペイン人司祭が激怒しているため国を離れろという忠告を受けて翌年再び欧州に向けて出国した。この途中、リサールは日本に1ヶ月半ほど滞在している。 1889年、国外追放された仲間がマドリードで発行している機関紙「ラ・ソリダリダッド」に寄稿、自由思想を高揚させた。 1892年、再びフィリピンに戻り平和的な手段による改革達成を目指す「ラ・リガ・フィリピナ(フィリピン人同盟)」を結成した。メンバーにはアンドレス・ボニファシオやアポリナリオ・マビニもいた。しかし、直後に当局に捕らえられミンダナオ島に流刑となる。 ↑ ホセ・リサールが、流刑となり監禁されていた、ディプログの『ホセ・リサール・メモリアル』 リサールは、医者でもあったため、この奥に見える小屋で診療所を開き、そこで開業もしていたのだ。 ↑ フィリピンでも最もきれいな海といわれる西ミンダナオの海。 本当にきれいです。 当時のミンダナオは、『モロ族』と呼ばれるイスラム教徒の支配下で。 スペイン統治下の中で、唯一スペイン支配が行き届かなかった島でもある。 ホセ・リサールもまたスペイン人の血を引き継ぐ、いわば純粋な『フィリピン人』でないのだけれども。 フィリピンを愛した、『英雄』なのだ。 リサールは、著作を通じてスペイン人圧制者と戦い武力闘争を奨励しなかったが、結局反乱、扇動、違法結社の無実の罪で死刑を宣告され1896年12月30日にバグンバヤン広場(現在のリサール公園)で銃殺された。 フィリピンの公務員職では、毎朝仕事を始める前に、国家を歌うのがしきたりとなっている。 これはこうしたホセ・リサールなどのフィリピン国家のためにフィリピンを生き、そしてフィリピンのために死んでいった者への敬意の表れなのだとも思う。 かつての大航海時代、世界一周という偉業を成し遂げた男がいた。 マゼランである。 ↑ 海賊親分、マゼラン♪ マゼランはポルトガル人だったが、ポルトガルのスパイスの独占の一角を切りくずそうと、スペイン国王の援助で西回りの航路を開拓しようとした。 当時のポルトガルはアフリカの喜望峰をまわってインド洋に入る東まわりの航路でインドや東南アジア(特にマラッカ諸島)のスパイスを独占的に輸入していたのだ。 マゼランたちが出発したのは1519年、大西洋を横断し、南米最南端の海峡(マゼラン海峡)を渡って大平洋に入って西へ進み、盗みを働いたとしてグアム島の住人を殺害するなどしながら1521年にはフィリピンに到達する。 う、う~ん、恐るべしマゼラン。 やってる事は海賊と大して変わりがない・・・。 と言うか、海賊行為そのものだ。 マゼランはフィリピン到着後、ここで島民にキリスト教への改宗をせまり、セブ島の首長のひとりと”友好関係”を結んだと言われている。 まぁ、『脅し』たわけである。 マゼランの横暴さにおびえ、しぶしぶと服従する中、ひとりのフィリピン人酋長が立ち上がった。 ラプラプである。 ラプラプはスペイン人の侵略と戦った東南アジアで初めての自由戦士といわれる。 ↑ ラプラプとマゼラン。何を隠そう、俺のTシャツのデザインなのだ♪ 1521年3月17日に初めてマゼランがフィリピンに到着したとき、マクタン島の首長だったラプラプを除いてセブの首長をはじめ周辺の族長らすべてがマゼランに敬意を払ったが、ラプラプはあくまで追従を拒否して戦った。 1521年4月26日深夜、マゼランは軍勢を率いてセブの対岸にあるマクタン島に進攻したが、ラプラプ率いる原住民の戦士が侵略を阻止。1時間以上続いた戦闘でマゼランは戦死した。 マゼランの艦隊が帰還できたのは、1522年の事なのだそうな。 マゼランは、世界一周を成し遂げた男なんて教科書なんかにゃ書かれちゃっているけれど。 本当のところは、フィリピンはセブ島で死んじゃったのだ。 セブには、スペイン人最初の上陸地点として、今でも『マゼランクロス』と言う十字架が建てられています。 ↑ マゼランクロス。フィリピンのキリスト教の原点がここにある。 まぁ、マゼランは、そんな感じで『世界一周』なんてのはやらせなのだが、『地球が丸い』のを実証した人物としては、大きな意味があったんじゃないだろうか? ↑ 今となっては、これが良い事だったのか、悪いことだったのかを論じることは難しいかもしれないが、そんなわけで現在のフィリピンの国教は『キリスト教』、多くの方が敬虔なクリスチャンである。それ以前のフィリピンでは、過半数がイスラム教徒だったのだ。 なおマゼランを殺したラプ・ラプはフィリピンで侵略者を撃退した英雄とされている。 フィリピンのあいディんティティが問われる島、セブ島。 今は観光地として賑わっています。 ジャンル別一覧
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